昭和50年07月27日 特別奉修委員



 昨日教徒新聞に甘木の安武先生の、初代の安武先生の奥様が話しておられる事が、甘木布教当初の様子と言う事の話をしておられます。甘木に出られてもう本当に、出られたら間もなく、沢山な人がお参りになって、御比礼が立ったと言われております。けれどもほんなら行ったから、すぐと言う事じゃなかったと言う事ですね。矢張り今日はジャガイモ三つを塩茹でして、そして二人で頂かれたと言う時もあるし。全然お米のお供えがなくて三日、四日、断食をされた事もやっぱあった。
 是は神様が求めなさる修行ですよね。自分で断食しようというのじゃない。是は神様にも決して買わないと。もう自分の食べるものやら、身に着けるものやらを買わない。是は私共もやっぱそれを実行した訳でしたけれども。そういう時があった時に、夏の事だったから、何か古い風呂桶を買われて、初めてそのあちらへ行かれてからのお湯を沸かされたと。それで先生にそう言われたら、先生が喜んでお風呂に入られたのは良かったけども、何日も断食してあるもんだから、前が真っ黒なって倒れとりなさいます。
 さぁそん時にその一人で、ておだおしておられる時に、表からその電報と言うてから、電報が来たそうですね。その電報が小倉の桂先生から来たという。昨日昨夜遅く安武先生が来ましたから、そのお話をしましたら、僕はそげなこつは知らんち言うんですよ。だから今度甘木の教会調査研究室と、先代の事の矢張り研究をなさってね。色んな資料を集めておられる、そこから出しておるこれは何です。
 それに「電報という声、どこからじゃろかと見ると、小倉の親先生から、安武進退の予あり早くお米を頂かせと、ご神命桂」と言う電報であった。はっははは私はこれを見て本当に感動しました。昔の先生方が師匠を本当に生神様のように言われたというが。福岡の吉木先生が愈々一週間も十日も、お米のお供えがなくて断食を続けておられる時に、やはり吉木栄三えがつれと言う事であった訳ですね。もう間髪を入れずね。その倒れておられる所へ電報ち言うてきた。
 そしたら今米のものを頂かせよと言うね。電報が来たと。安武進退の予あり早くお米を頂かせ。ご神命桂と言うのです。もう本当に交流ということはね。やっぱそう言う事だから交流した。親先生を生神様のように私は慕われた、思われたと言う事と同時にね。そう言う事があってから、もう間もなく手押し車に乗せられて、エザリの方が参ってきたげな。そん時にはもうそれこそ、夫婦で一生懸命御祈念をした。帰りにはその車を置いて帰ると言った様な事があった。
 さぁそれからというものは、どんどん、どんどんどんどんお参りがありましたと書いてある。こら奥様の話なんですよね。本当にそこから例えば、あっという間に沢山の人が集まって来る様になったという。だからやっぱり通る所を通らせてもらうと言う事ですね。今日のお昼の一時の御神訓は、今日は打ち向かうと言う事。神へ打ち向かうその倍力の徳を授けるという御理解なんです。だからこうやって皆さんが、お参りをしておられるから、それに対して御徳を下さると言う事は絶対ないんです。
 幾ら日参り夜参りが例えば出来とったっちゃ、おかげは頂きますよ。倍力のおかげは頂きましょう。たった五しか出来んでも、十も二十ものおかげは頂きましょうけれども、倍力の徳と言う事にはならん。私は夕べその事を御祈念さして貰いよって、頂いた事でしたけれども。それが今日の昼のまぁ一つの文章にすれば、今日の御理解にある事だろうと思うんですけれどもね。もうとにかく命を懸けると言う事。そういう向かい方に、倍力の徳が授けられると。
 次にまたこうひっくり返すとね、昨日ここの正教さんから電話が掛って来たが、永井勘四郎という、まぁ大変学官をしておられた先生ですが。大変いま合楽に帰依をされて、こちらから送るテープを楽しみに待って下さる。この頃からおかげの泉でおかげを頂いたと言うてその場で。片一方半身不随でなさいますから、その左手ではがきを出してお礼の手紙を忌憚な方ですけどもね。
 その方が今新聞に福田先生の事を書いてある。アメリカ布教のね先駆者です。その先生がアメリカへ着かれてから、それからあちらこちらから餞別を頂いた。旅費を払うてしもうた。その時点で持っておるお金の全部を、お世話になった教会に全部、お初穂として送られたち。とにかくもう背水の陣というのは、こう言う事なんです。もう一歩でも後ろに引かれん。そこには神様を信じきって、命は貴方に預けたという生き方なんです。福田先生にしろ、いうならば甘木の親先生にしろやっぱ同じ。
 そこからいうならば、倍力の徳が受けられなさった。皆さん私はあの御理解をですね、もう、皆さんが五の力で参ってくりゃ、十のお徳が受けられると言う様な感じで思うとったけれど。夕べ初めてその事を頂きましてね。そうじゃないもう倍力の徳と言うのですからね。これはやはり本当に神様を信じきって、背水の陣を敷いてのですね。例えばアメリカ辺りまでも行ってですよ。もうこちらへ来たからお金は要らんち言うんです。食べさせて貰う事は神様にこの口は預けとるんだと。
 この命はもう預けてるんだと。そういう精神から持っとる金を全部、内地のほうへ送り返されたと言う。そこにほんならそれが今、アメリカに十何ヶ所かありましょうかね、出社が。全米に広がるほどしの御比礼を頂かれた。ほんなら甘木の生神様と言われるほどしのおかげを受けられた。通るとこを通っておられるち言うこと。ちょいと隣から一升借って来とこてんなんてん、全然言うちゃなかですもん。
 私はお互い信心そういうチャンスと言うのは、何時もはないです。でなかったらまた教祖様が、さぁ今日は親戚の誰それが死んだから、お悔やみに行けと仰る。お悔やみに連れのうて誘うて行かれた。所が当の本人が出てみえられた。そういう例えば純粋さです。それに例えば自分の頂き違いと詫びておられる。そしたら神様が戻しの風は十数倍というて帰れと仰るような、言うなら十数倍的なそういう時に徳を受ける。だから普通では皆さん幾ら参って来たっちゃね、おかげだけですよ。
 まぁいうならね。そら全然ち言うこつはない。そらまぁ分かりやすく言うとそげんです。けども段々信心辛抱の徳と言うのもあるし、やっぱり、信心するようにしてお参りするから、御徳が付いていきましょうけれども、本当に垢抜けした徳というのは、背水の陣を敷いてからの信心であり、神様であると言った様なね。そう言う所から、または、もう馬鹿ほどに純粋な心の状態で神様へ向かうという。
 そこに倍力の徳というのは頂かれる。今ね高橋さんところの職人さんが、初めて、まぁ、滅多に参って来んのですけれども、今日はお母さんのお立ち日だと言うのでね。そのお母さんのお立ち日だと、一年のげなたい。そのお届けがあったんです。今玉串を上げてもらった。ご神前で神様にその事をお願いさせて頂いたら、もう大変な喜びを見せてくださって、思わず知らず、祖先賛詞をあげた。私は本当に子供が親のそうした、まだ一年という時にわざわざ今日は、正装して参って来ちゃった。
 まぁ別に信心そげなこつが分かっておられるとは思われんけれども、やっぱり合楽の金光様にお願いしようという気で参って来たでしょう。例えばそういう場合は玉串ば上げてもらうけれども、私が御祈念をするち言うこつは先ずないのです。けどもほんなら今私がこちらで、祖先賛詞を上げませんけれども祖先賛詞は、皆さんと一緒にいわば今の方のねお母様の御霊様に、祖先賛詞をお供えさせて頂いたんです。